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内海のグラブ:ZETT→adidas
吉田えりのグラブ:ZETT→ミズノ
大引の用具一式:ZETT→ナイキ
小笠原孝のグラブ:ワールドペガサス→ナイキ
いい加減にしなさいよ!
吉田えりのグラブ:ZETT→ミズノ
大引の用具一式:ZETT→ナイキ
小笠原孝のグラブ:ワールドペガサス→ナイキ
いい加減にしなさいよ!
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ワタシは中日ファンで選手では小笠原孝が一番好きなんです。
彼のピッチングは見てて凄く面白いんですよね。
つい何年か前までは中継ぎで、出てきては打たれるイメージしかなくて嫌いだったんですが、
先発に転向した頃にまた彼のピッチングを見たんです。
その時のピッチングにすごく感銘を受けたわけです。
特にボールが速いでもないし、めちゃくちゃ曲がる変化球があるわけでもないのに、コントロールは正確で変化球が多彩で使い分けも丁寧。
その上三振もわりと取れるというピッチャーなんです。
その分、甘く入ったら持っていかれるというスリリングなピッチングなんですが、そこも含めて好きになったんですね。
しかも中継ぎも出来るとなれば、単純にすごいと思います。
出てきたら打たれる、なんてとんでもないですよね。
どんな場面にでも対応できると信頼されているということなんですから。
ワタシも球は速くないけど、一応数種類持ってる変化球とコントロールを武器にしてやっているわけです。
今日はワタシが二試合目先発だったわけですが、今日もそれを意識して投げてました。
相手チームさんには凄いフルスイングしてくる人もいたので、まぁ投げてて冷や汗ものでした。
でも、甘く入ったら\(^o^)/みたいなピッチングはやっぱり投げててもおもしろいものです。
同じ中日で言えば中田みたいな暴れ馬的ピッチャーもいて、そういうのも好きなんですがやっぱり力だけで無理ならそれなりの工夫してどうにかやっていくピッチャーというのもまたいいんじゃないでしょうか。
コントロールと変化球があればそれなりにピッチングの組み立てができるというか、ある程度計算もできると思いますし。
その辺はワタシではなく、お猿の仕事なんですがね。
さて、バッティングはなんか引っ張ってばっかりですね。
やはりワタシの真骨頂と言えば、恩師である芝川先生に
「まさに、お手本のようなバッティングやな」
と評された右打ちです。
その時の残像というのは今でもあるんですね。
また打ってみたいものです。
今日の名言
川嶋「ちはやぶるちはや」
凄く勇気づけられたましたね。今日抑えられたのもちはやのおかげです。
コントロール?変化球?関係ないない。
そんなもん、どこにどんな球投げても打たれるときは打たれるねん。
野球なんて結局運よ、運。
うんうん。
彼のピッチングは見てて凄く面白いんですよね。
つい何年か前までは中継ぎで、出てきては打たれるイメージしかなくて嫌いだったんですが、
先発に転向した頃にまた彼のピッチングを見たんです。
その時のピッチングにすごく感銘を受けたわけです。
特にボールが速いでもないし、めちゃくちゃ曲がる変化球があるわけでもないのに、コントロールは正確で変化球が多彩で使い分けも丁寧。
その上三振もわりと取れるというピッチャーなんです。
その分、甘く入ったら持っていかれるというスリリングなピッチングなんですが、そこも含めて好きになったんですね。
しかも中継ぎも出来るとなれば、単純にすごいと思います。
出てきたら打たれる、なんてとんでもないですよね。
どんな場面にでも対応できると信頼されているということなんですから。
ワタシも球は速くないけど、一応数種類持ってる変化球とコントロールを武器にしてやっているわけです。
今日はワタシが二試合目先発だったわけですが、今日もそれを意識して投げてました。
相手チームさんには凄いフルスイングしてくる人もいたので、まぁ投げてて冷や汗ものでした。
でも、甘く入ったら\(^o^)/みたいなピッチングはやっぱり投げててもおもしろいものです。
同じ中日で言えば中田みたいな暴れ馬的ピッチャーもいて、そういうのも好きなんですがやっぱり力だけで無理ならそれなりの工夫してどうにかやっていくピッチャーというのもまたいいんじゃないでしょうか。
コントロールと変化球があればそれなりにピッチングの組み立てができるというか、ある程度計算もできると思いますし。
その辺はワタシではなく、お猿の仕事なんですがね。
さて、バッティングはなんか引っ張ってばっかりですね。
やはりワタシの真骨頂と言えば、恩師である芝川先生に
「まさに、お手本のようなバッティングやな」
と評された右打ちです。
その時の残像というのは今でもあるんですね。
また打ってみたいものです。
今日の名言
川嶋「ちはやぶるちはや」
凄く勇気づけられたましたね。今日抑えられたのもちはやのおかげです。
コントロール?変化球?関係ないない。
そんなもん、どこにどんな球投げても打たれるときは打たれるねん。
野球なんて結局運よ、運。
うんうん。
メンバーを見るとやっぱり豪華で見てて楽しいですね。
KAMEIだけは何故残ったのか?ですが・・・・。
選手個々の能力もやっぱり違うなぁという感じがします。
オリンピックの日本代表と違って何かやってくれそうな気にさせてくれますね。
しかし、テレビ中継での実況のぬるい感じは何とかならんものだろうか。
この選手は素晴らしいだとか特に具体性もないわかりきったことしか言わないし、
ミスに関しては批判的な意見もない。
強化試合で、選手のダメな部分も見るのが目的の一つでもあるからそのあたりもちゃんと伝えてもらわないと困る。
国際試合で不慣れな点があっても、仕方ないでは片付けられないのに。
今の時点で実況が大丈夫大丈夫とファンに安心感を植え付けさせておきながら、仮に本選で修正できてなくて
「どうした侍ジャパン!」
とか言われてもどないやねんてなるだろうに。
最強チームって言うけど、もちろん完璧じゃないんだしそれに遠慮しててどうするの。
ちゃんと仕事をしてほしい。
KAMEIだけは何故残ったのか?ですが・・・・。
選手個々の能力もやっぱり違うなぁという感じがします。
オリンピックの日本代表と違って何かやってくれそうな気にさせてくれますね。
しかし、テレビ中継での実況のぬるい感じは何とかならんものだろうか。
この選手は素晴らしいだとか特に具体性もないわかりきったことしか言わないし、
ミスに関しては批判的な意見もない。
強化試合で、選手のダメな部分も見るのが目的の一つでもあるからそのあたりもちゃんと伝えてもらわないと困る。
国際試合で不慣れな点があっても、仕方ないでは片付けられないのに。
今の時点で実況が大丈夫大丈夫とファンに安心感を植え付けさせておきながら、仮に本選で修正できてなくて
「どうした侍ジャパン!」
とか言われてもどないやねんてなるだろうに。
最強チームって言うけど、もちろん完璧じゃないんだしそれに遠慮しててどうするの。
ちゃんと仕事をしてほしい。
今日はまぁまぁ気持ちでプレーができたと思う。
一打席目 気持ちの三振
二打席目 気持ちでゲッツー崩れ→気持ちで盗塁
三打席目 気持ちでレフトフライ
守備機会は危ういながらも4つとも気持ちでアウトに。
変なプラス思考というか、良い結果が残せそうもないところでいかにして存在感を示すか。
今日はこんなことを考えながらプレーした。
中スポの記事に先日の練習試合でのドラゴンズ・藤井の二盗塁についてこんな事が書いてあった。
「自分が完ぺきではなくても、相手も完ぺきの守備とは限らない。だから挑戦すればいい。」
今日の自分の盗塁も結果的にはそれがあっての成功だった。
モチロン盗塁とかだと状況も考えなければならないからいつでもっていうわけにもいかないし、独りよがりなプレーにならないように注意もしないとイカン。
でもせっかくの草野球だからそのあたりはなんでも試していったらいいと思うよ。
せっかくの週一の試合で「何もできなかった」じゃ寂し過ぎると思うし。
試合の方は・・・・
まぁ、相手ピッチャーのコントロールのいいこといいことw
カウント構わずギリギリいっぱいあれだけ投げてこられたら手も足も出ませんw
無死走者なしで最後回ってきたから何とか気持ちでレフトフェンスオーバーを狙ったが・・・・気持ちで負けました。
来週は気持ちでダブルヘッダー2勝したいですね。気持ちよ気持ち。
一打席目 気持ちの三振
二打席目 気持ちでゲッツー崩れ→気持ちで盗塁
三打席目 気持ちでレフトフライ
守備機会は危ういながらも4つとも気持ちでアウトに。
変なプラス思考というか、良い結果が残せそうもないところでいかにして存在感を示すか。
今日はこんなことを考えながらプレーした。
中スポの記事に先日の練習試合でのドラゴンズ・藤井の二盗塁についてこんな事が書いてあった。
「自分が完ぺきではなくても、相手も完ぺきの守備とは限らない。だから挑戦すればいい。」
今日の自分の盗塁も結果的にはそれがあっての成功だった。
モチロン盗塁とかだと状況も考えなければならないからいつでもっていうわけにもいかないし、独りよがりなプレーにならないように注意もしないとイカン。
でもせっかくの草野球だからそのあたりはなんでも試していったらいいと思うよ。
せっかくの週一の試合で「何もできなかった」じゃ寂し過ぎると思うし。
試合の方は・・・・
まぁ、相手ピッチャーのコントロールのいいこといいことw
カウント構わずギリギリいっぱいあれだけ投げてこられたら手も足も出ませんw
無死走者なしで最後回ってきたから何とか気持ちでレフトフェンスオーバーを狙ったが・・・・気持ちで負けました。
来週は気持ちでダブルヘッダー2勝したいですね。気持ちよ気持ち。
今週の週間ベースボールの特集が背番号物語ということなので背番号について。
ワタシが野球を始めたのは小学校一年生で、最初につけた番号は「8」。
当時は少年野球には珍しく、背番号を自分で選択できたので「5」か「8」で悩んだ。
「5」にはプロでも有名な選手がつけてるイメージがあったのと
「8」は数字の中でも「0」と「8」だけが線対称であって、その形が好きだったと言うのがある。(「0」は既に別の人が付けてた)
悩んだワタシは「8」を貰いました。
当時は背番号と選手のイメージの関係性はモチロン考えてませんでした。
「8」と言えば強打、巧打の野手がつける番号です。
今考えても「8」という背番号は良かったと思いますね。
が、チームが一年ほどで年齢順(同年齢は入団した順)に背番号を与えるという一般的な方法を採用したため、あえなく「8」は剥奪されることに。
替わりにいただいた背番号は「45」(小学校二年時)
…まぁ特に愛着はなかったです。
小さい背中には大きい番号が似合ってたのかなぁ、とか今は思ったり。
三年生の時は少し繰り上がって「41」
両親が「41(よい)子っていうことでええやん」
って言ってたのを覚えています。子どもだった僕はそれで納得してました。
四年生になってまた三つ繰り上がって「38」
下の桁ですが、ようやく「8」が巡ってきて嬉しかったですね。
ただ「3」っていうのがあまり好きではなく、4年の時は少年野球時代でも特に辛かった覚えがあります。
五年生になると一気に飛んで「15」
これは確かBチーム(五年生以下で構成されるチーム)のキャプテンナンバーだったと思います。
学年でも最も早くチームに入ったワタシがその番号を貰うこととなりました。
しかし、ワタシと他二人は五年生のうちから六年生チームに帯同することに。
ワタシはこれがひたすら嫌で、同じ学年のメンバーたちと一緒にBチームでプレーしたいという思いが常にありました。
この一学年上のチームというのが、運動能力が高い人達なのに勝てない勝てない…
…この頃からつくづくチームワークがしっかりしてないチームは勝てないと認識させられましたね。
で、最高学年になってもらった背番号は「10」
これは正真正銘のキャプテンナンバーと言う奴です。
我々の代は前後の代と違って全く期待されてなかったんですね。
ワタシは一応主にピッチャーを務めさせていただいてたんですが、まぁ~これがからっきしで…。
コントロールは良かった方だと思うんですが、投手としては球が話にならないくらい遅くて毎度毎度フルボッコにされてたんですね。
頼みの綱であるはずのコントロールもいきなり酷くなることが多くてチームに迷惑ばかりかけてましたね。
もうキャプテン云々というより、ただ自分が迷惑しかかけてなくてもう死にそうでしたw
野球のある日はいつもコーチでもある父親のカミナリが落ちました。これもまた死にそうでしたw
チームメイトや他のチームでも父親がコーチっていう人は多くて、そういう人には「君もか。お互い辛いよね」なんて思ったり…w
モチロンそんなこっちゃチームは勝てるはずもなく、秋ぐらいまではただの一つもメダルを取ったこともありませんでした。
その頃、一つ下の学年の子たちのある親が「早く今の代が終わればいい」みたいな事を言いだしたたんですね。
正直、人としてもチームの保護者としてもこれは あ り え な い ですよね。
チームは親たちのものじゃないし、少年野球という一つの情操教育の場においても最低の考えです。
モチロン野球は両親の支えがあるからこそでき、チームは保護者の支えがあって成り立つものでもあります。
自分の子だけが成長すればいい、応援すればいいなんていう親の自己満足の場であってはなりません。
チームの和を重んじていた僕がいたチームとしてはなおさらだったんじゃないでしょうか。
因みにその親の子が僕がつけていた「15」をつけていた事を思うと歯がゆかったですねw
それから僕たちは奮起し、僕に替わる新しいエースが誕生したこともあり、市内大会での優勝も含めて4つのメダルを獲得しました。
他にも規模の大きい大会で上位に残るなど、少しは周りを見返す事も出来たという形でチームを終えました。
あの時ほど必死に野球に取り組んだこと、楽しいと思ったことは無かったですね。
それらしい事はできなかったかもしれないけどキャプテンの仕事、「10」を一年間守り通せたということも大きな糧になりました。
途中から背番号関係無くなっちゃってますねw
小学校時代はそんな感じです。中高はまた書くかも。
ワタシが野球を始めたのは小学校一年生で、最初につけた番号は「8」。
当時は少年野球には珍しく、背番号を自分で選択できたので「5」か「8」で悩んだ。
「5」にはプロでも有名な選手がつけてるイメージがあったのと
「8」は数字の中でも「0」と「8」だけが線対称であって、その形が好きだったと言うのがある。(「0」は既に別の人が付けてた)
悩んだワタシは「8」を貰いました。
当時は背番号と選手のイメージの関係性はモチロン考えてませんでした。
「8」と言えば強打、巧打の野手がつける番号です。
今考えても「8」という背番号は良かったと思いますね。
が、チームが一年ほどで年齢順(同年齢は入団した順)に背番号を与えるという一般的な方法を採用したため、あえなく「8」は剥奪されることに。
替わりにいただいた背番号は「45」(小学校二年時)
…まぁ特に愛着はなかったです。
小さい背中には大きい番号が似合ってたのかなぁ、とか今は思ったり。
三年生の時は少し繰り上がって「41」
両親が「41(よい)子っていうことでええやん」
って言ってたのを覚えています。子どもだった僕はそれで納得してました。
四年生になってまた三つ繰り上がって「38」
下の桁ですが、ようやく「8」が巡ってきて嬉しかったですね。
ただ「3」っていうのがあまり好きではなく、4年の時は少年野球時代でも特に辛かった覚えがあります。
五年生になると一気に飛んで「15」
これは確かBチーム(五年生以下で構成されるチーム)のキャプテンナンバーだったと思います。
学年でも最も早くチームに入ったワタシがその番号を貰うこととなりました。
しかし、ワタシと他二人は五年生のうちから六年生チームに帯同することに。
ワタシはこれがひたすら嫌で、同じ学年のメンバーたちと一緒にBチームでプレーしたいという思いが常にありました。
この一学年上のチームというのが、運動能力が高い人達なのに勝てない勝てない…
…この頃からつくづくチームワークがしっかりしてないチームは勝てないと認識させられましたね。
で、最高学年になってもらった背番号は「10」
これは正真正銘のキャプテンナンバーと言う奴です。
我々の代は前後の代と違って全く期待されてなかったんですね。
ワタシは一応主にピッチャーを務めさせていただいてたんですが、まぁ~これがからっきしで…。
コントロールは良かった方だと思うんですが、投手としては球が話にならないくらい遅くて毎度毎度フルボッコにされてたんですね。
頼みの綱であるはずのコントロールもいきなり酷くなることが多くてチームに迷惑ばかりかけてましたね。
もうキャプテン云々というより、ただ自分が迷惑しかかけてなくてもう死にそうでしたw
野球のある日はいつもコーチでもある父親のカミナリが落ちました。これもまた死にそうでしたw
チームメイトや他のチームでも父親がコーチっていう人は多くて、そういう人には「君もか。お互い辛いよね」なんて思ったり…w
モチロンそんなこっちゃチームは勝てるはずもなく、秋ぐらいまではただの一つもメダルを取ったこともありませんでした。
その頃、一つ下の学年の子たちのある親が「早く今の代が終わればいい」みたいな事を言いだしたたんですね。
正直、人としてもチームの保護者としてもこれは あ り え な い ですよね。
チームは親たちのものじゃないし、少年野球という一つの情操教育の場においても最低の考えです。
モチロン野球は両親の支えがあるからこそでき、チームは保護者の支えがあって成り立つものでもあります。
自分の子だけが成長すればいい、応援すればいいなんていう親の自己満足の場であってはなりません。
チームの和を重んじていた僕がいたチームとしてはなおさらだったんじゃないでしょうか。
因みにその親の子が僕がつけていた「15」をつけていた事を思うと歯がゆかったですねw
それから僕たちは奮起し、僕に替わる新しいエースが誕生したこともあり、市内大会での優勝も含めて4つのメダルを獲得しました。
他にも規模の大きい大会で上位に残るなど、少しは周りを見返す事も出来たという形でチームを終えました。
あの時ほど必死に野球に取り組んだこと、楽しいと思ったことは無かったですね。
それらしい事はできなかったかもしれないけどキャプテンの仕事、「10」を一年間守り通せたということも大きな糧になりました。
途中から背番号関係無くなっちゃってますねw
小学校時代はそんな感じです。中高はまた書くかも。